ライフハックや様々な自己啓発が盛んな、悩み多き現代。今しか起こり得なかった問題も確かにあります。ですが人間の苦悩は常。あるいは、根本に存在していた問題が表面化したものが現代、ということも出来るでしょう。「哲学」と呼ばれるもののうちには、そういった我々の苦悩に真摯に取り組み、体系的な記述を目指した作品が数多くあります。歴史に於いて産業革命や世界大戦の荒波の絶えなかった1800年代というものは、脈々と続く現代の精神にも特殊な意味を持っています。今回は、その激動の時代に生み出された膨大な作品を背景に、今手に入れることのできる珠玉と言える10冊をご紹介します。取っつきにくい?そんなことは有りません。いざそのページをめくれば、まさに今ここで必要な言葉が見つかるでしょう。
まずは最初に、哲学とはそもそも、という問いを知るべく、概要を描写した現代書からご紹介します。19世紀に生み出されたものを知る上で、その時代が如何なるものであったかという歴史の知見を得ておくことは非常に有意義です。この『若い読者の為の哲学史』は、かなり網羅的でありながら、簡潔に、且つ分かりやすく面白く、哲学の変遷を描いています。全体像把握のために見るつもりで手に取ると、各章のタイトルだけで好奇心をそそられ、いざ読み始めればテレビのワイドショーを見るかのように各時代の模様が鮮やかに描き出されており、もっと、もっと、と読み進めてしまうでしょう。
『哲学用語辞典』は、今回ご紹介する概要書2冊のうち、更に書店では目立つ位置に置いてあるものです。より分かりやすく、こちらは時系列というよりも、一つ一つのキーワードに沿って1ページずつ説明してくれています。『若い読者の為の哲学史』が歴史書ならば、こちらは地図帳。そもそも「哲学って何?」というような人にも、親切かつ身近な話題を以てキャッチーに解説してくれている、スナック感覚で読むことのできる、哲学・思想の入門書。帯にも書かれているとおり、まさに「ビジネスにも交渉にも役立つ、教養としての哲学思考」です。
それでは各々の思想に入りましょう。最初にご紹介するのは、まさに19世紀に生み出された哲学の代表とも言われる哲学者の作品です。“生の哲学”として、自伝を含め多くの著作を残したニーチェ。歴史的視点を以て人がなぜそれをせねばならないか、道徳的であるということはどういうことかを論じた作品です。ニーチェの中でも比較的短く簡潔で、入門としても最適です。比較的後世の作品になりますので、氏の思想が体系的にまとまっているのも読みやすい部分でしょう。
『啓蒙とは何か』は、『純粋理性批判』『実践理性批判』等の哲学の祖とも言われる作品を残すカントの、一般大衆向けのいわば原理的な疑問に答える1冊です。ポピュリズムの台頭、新たな言説の構築が絶え間ない現代で、人々がより良く生きるには、という根本的な問いに立ち返る必要のある我々必読の書でしょう。
ヘーゲルの著作は『法の哲学』『大論理学』『小論理学』『精神現象学』等々いずれも大作であり、読み進めるのにはなかなか骨が折れるのですが、それらのエッセンスを知るのに最適であるのが本書。作者は間違いなくヘーゲルでありながら、日本での第一人者が氏の著作から抜粋してまとめ上げたものを余すところなく網羅しています。現代で言われる「理論学者は現場を分かっていない」つまり頭でっかちでは実社会では生きてゆけないというようなニュアンスを、実践と理論は相互包括的である、というような、より精緻な言い方で反駁しています。
マルクスが『資本論』という大作にいたるまでに幾つか思想の変遷を経て居ることは有名なのですが、この『経済学・哲学草稿』はそれらのエッセンスを凝縮したマルクスの思想そのものということのできる作品です。労働によって精神を病む、という最も日本では身近な話題について、「労働の疎外」という疎外の概念によって簡潔に説明しています。
マルクスが努力家であるならばエンゲルスは天才、とはよく言われたもので、傍でマルクスの執筆活動を支え続けた友人エンゲルスの代表作『空想より科学へ』。現代に於いて科学の占める地位は最上位とも言えます(統計など、データがあれば信用されやすいというのもまさにこの観点です)が、それらの核を練り上げた、科学主義に至る思想を表す本冊。スピリチュアルのようなもの、体系的でないものを「空想」であると批判し、科学を社会の中で位置づけた名著です。勿論、後に批判の対象となるのですが…。
実存主義の巨匠、孤高の哲学者であるキルケゴールの『死に至る病』。芥川龍之介が『或る旧友へ送る手紙』の中で「自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」と書いたように、そして現代人を死に至らしめるものとして精神的な不安や絶望が存するように、絶望というものは人間を死に至らしめるものであるとキルケゴールは説きます。キリスト教的な観点も含みますので、宗教的視点の明確でない読者にとっては新鮮味もあり、絶望を「罪」とする思想は興味深く読み進めることが出来るでしょう。
日本での当時の思想として、福沢諭吉の『学問のすゝめ』は今読んでもかなり先進的です。一部矛盾する表現もあるのですが、福沢諭吉のめざましさは、現代でも焦点を当て続けられているジェンダーの問題にも鋭くメスを入れているところでしょう。男女のれっきとした社会的格差を指摘しつつそれらがなんら妥当ではない矛盾に満ちた不合理なもので有るとして断罪し、学問こそ社会平等の礎になると解く福沢の言葉には、現代のわれわれにエネルギーを与えてくれるものがあります。同時に、当時の問題が今なお十分に議論にあたいするものであるという点も興味深い点です。
福沢諭吉と並んで当時の思想大家、中江兆民の『三酔人経綸問答』は、論の展開の仕方がまるで戯曲のよう。南海先生という主人公の元へ訪れるのは、“洋楽紳士”と“豪傑君”というなんともコミカルな設定なのですが、各々の思想がまじりあい時に極論めいた激しい議論を交わすさまは、まさに矛盾する思想の混濁した、さらにそれによって新たなものが生まれるという思想の実験でもありました。展開はわかりやすく、されど重厚な思想のバトルが興味深い1冊です。
おまけ:木田元『一日一文 英知のことば』
ここまでお読みになり、それでもこの文量を一度に読むのはやはり辛い…という人に向けて最後に木田元『一日一文』をお勧めします。365日、毎日日付ごとにある著作家とその1冊が、各著作の抜粋を以て展開されます。全く知らなかった人を知るのも良し、また興味を抱くことで今まで興味を抱くことのなかった分野に目覚めるのも良し。まずは一日一文から。
如何だったでしょうか。まずは1冊を手に取って、今日の糧にしてみては如何でしょうか。
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